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我が子は五郎丸ポーズみたいな格好をよくする(そのまま指をしゃぶる)ので、五郎丸ちゃんと呼ばれることがある。その状態でゴロゴロ転がったりするので、ごろん丸ちゃんとも呼ばれることがある。
我が子は五郎丸ポーズみたいな格好をよくする(そのまま指をしゃぶる)ので、五郎丸ちゃんと呼ばれることがある。その状態でゴロゴロ転がったりするので、ごろん丸ちゃんとも呼ばれることがある。
最近、仕事から帰ると、ベッドか床に寝転がっている我が子がこちらに気づいて笑ってくれる。 それはつまり、①我が子に顔を覚えられている、②帰ってきてうれしいと思われている、という二点が自明なわけで、たまらなく喜ばしい。 ところで、 我が子には一所懸命考えて付けた大切な名前があるが、夫婦ともに割と「ぷーちゃん」と呼ぶことが多い。 これはよくおならをするからで、おならぷーちゃん、略してぷーちゃんという理屈だ。 しかし考えてみると、①赤子は誰にも気兼ねすることなくおならをひねる、②おならをひねる赤子はかわいい、という二点が自明なわけで、我が子だけが特別なのではなく、一般的な赤子はだいたいこれに当てはまる。 なのできっと日本全国の一万世帯くらいで赤子が「ぷーちゃん」と呼ばれているのだろうな、と思いながら今日もそう呼んでいる。 なお、おならの音声を名前にするのは本人が傷つくだろうから、物心がつくまでにはやめようと決めている。
我が家に雛人形が届いた。 うちの実家には雛人形を飾る慣習がなかった(小さなお菓子のおまけみたいなやつは時々飾ったかもしれないが)ので、ガチな雛人形があんなゴイスーだとは思わなかった。 いや、本当にガチなやつは何段にもなっていて、歌にもうたわれているようにお内裏様とお雛様をはじめ、三人官女、五人囃子などが末広がり連なっていて幼少のこどもにピラミッド構造のなんたるかを学ばせんとするたたずまいだが、そんな多段にスケールしたセットはやはり超高級品で、通常は一段だけの親王飾りが主流らしいと知った。 そんな親王飾りでも衣装雛や木目込といったつくりの違いがあるし、配偶者が「木目込といえば魔太郎」とか言うからなにそれ怖い!ってなったけど正確には真多呂というブランドだったし、真多呂の中でもランクがあってたとえば顔や手が樹脂なのか素焼きの陶器なのかで価格が違っていて、ある一定の水準を満たして伝統的工芸品の認証を得た人形だけが「伝〇」と書かれた高級メロンに貼ってあるような小さな金色のシールを貼ることが許されるしと奥が深い。 そして我が家では配偶者がどうしても真多呂さんがいいということで探していたが、そもそも木目込自体が地味だからか取り扱いが少なく、紆余曲折の末、真多呂さんのショールームである御徒町の真多呂会館にタクシーで乗り付ける。 そこである一品に一目惚れをする。 箔押し、と呼ばれる金粉で模様が描かれた仕様の限定品。その割にお値段もお手頃。お手頃とはいえ、ピンからキリまで見てきて感覚がマヒしていたので冷静に人形二体組の値段と考えるとゴイスーだ。 しかしこの先二十年、娘のために飾り続けることを考えれば妥協すべきでない、と我々夫婦の見解は一致。決断からカード一括払いまで一直線だった。購入後、一家三人で寿司を食べて雛人形との出会いを祝った。 いま、鳩時計やアロマやノートパソコンをどかして掃き清めたテレビ棚の上にそれは鎮座している。 まだ0歳の娘はその存在を認識していないけれど、数年後に気に入ってくれることを願って。
今日は日本酒を飲む飲み会があるということを、仕事が終わる直前に教えられて思い出した。 これは大変うまい日本酒、入手困難な日本酒を飲み比べられる会社有志の飲み会で、前回はとある蔵の方が商品の紹介のために来て熱燗をつけてくれるという、ちょっと職場の飲み会の枠を超えたイベントだ。 仕事の手を止め、1月のタイ出張(超暑い)から望んでいた寒い日本での熱燗に思いを馳せ、少しニヤついた。 しかし我が家にはルールがある。 『飲み会等で帰りが遅くなる場合は当日朝までに申告すること』 これは育休中で夕飯担当である配偶者が、せっかく作った夕飯がムダになることでイライラするのを避けるための合理的なルールだ。 なので現在、帰宅途中にある。 帰宅途中だが、まっすぐ帰るのは悔しいので、フレッシュネスバーガーでカールスバーグを飲んでいる。 飲みながらこれを書いている。 これを書き終え、飲み終えたら家に帰る。 家族に会うために早く帰りたい気持ち、これは本心に違いない、日本酒を堪能したかった気持ち、これも本心に違いない。 間をとってファーストフード店でビール、これは我ながら悪くない選択だと思う。 そろそろ書き終える。 ビールもなくなりそうだ。
ゆっくりと帰れる日なので、ここぞとばかりにつけ麺を食べた。 つけ麺は、舌がしびれてよじれるほどに濃い味、ガラス板みたいに厚く透明な層をつくっている油、形を保てないレベルでやわらかい焼豚、サッパリ感というより別の刺激で味の濃さを誤魔化そうとする生ネギ、などといった要素が織りなす隠し切れない不健康さが背徳的な昂揚感をもたらすのでつい食べたくなる。 しかし、食べると必ず腹を下す。 今のところ例外はない。 だからか、つけ麺を食べるたびに『人間には消化できない、ものすごく美味い魚』の存在を思い出す。 毒キノコも似たようなものだけど、毒キノコはなんかちがう。
気張らずになにか書いていこうと思った。 ブログというよりメモというか。 TwitterとかFacebookじゃなくて、 自分用のこじんまりとしたスペースがほしい。 だからコメント欄もSNSへのリンクもなし、 一度書いたことも、 納得がいかなければ好き勝手に書き換えたり、 消したりしてもよいということにする。 なので、まずは、書いてみる。 やあ、ひさしぶり。