CHOP-ME-NOT

タブラよ、軽くなりたまえ。

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風のない墓前にて。

月曜日に父方の祖母が亡くなりました。これで私には祖父母がいなくなりました。

忌引きを取ってとある関東の田舎へ。そこはミンミンゼミが啼き、オンブバッタが足下で跳ね、ミツバチがぶんぶんと唸り、アマガエルが壁に張り付き、飼いヤギが草を食み、ソフトバンクの電波がほとんど入らないような、まだまだふところに夏をしっかりと抱え込んで離そうとしない田舎です。

ヤギのいる風景

祖母は近所の人からは「我慢強い人」と言われ、身内からは「何も言わない人」と見なされていました。昨年の夏に膀胱ガンが見つかった時にはすでに膀胱全体が浸食されていたような状態で、医師の見立てではその時点で持ってあと数週間とのことでした。そんなになるまで田舎に一人で生活するのは相当辛かったにはずなのですが、それをどう受け止めるかは立場の違いでまったく異なるのだと痛感しました。

事実、膀胱を摘出するとしばらく回復して伯父宅で暮らせるようになったのですが、要介護なので身内にはどんどんストレスが溜まりました。「我慢強い」は「必要なことをギリギリまで言わない」であり、「自分で何とかしようとする」は「こちらの言うことを聞いてくれない」なのです。どうしても険悪な空気になってしまいます。祖母の性格は要介護者としては決して歓迎されるものではありませんでした。

と、こんなことを書いている私自身がそのつらい生活のただ中にいたわけではありません。私は介護にたずさわってはいませんでした。私は何もしていない。身内でありながら何もしていない。あえてその面倒に飛びこむことをせず、ときどき顔を見に行ったり散歩に同行したりした程度です。それも数回、しかも親から行けと言われての行動です。祖母のトイレを処理することがどういうことか体験していないのです。それなのに介護の苦労を知ったように書き散らしている今の自分に対し、怒りなのか恥ずかしさなのか情けなさなのかわかりませんが、とにかく暗い気持を抱いていることは隠しようがなく、じゃあどうすればいいのか、それもわかりません。もし時間を巻き戻せるとしたら進んで介護するか?と問われたら、もちろんそうする、と即答できないのが本心です。

やはり怒り、恥ずかしさ、情けなさ、それらすべてですね。私は弱い。

田舎道

ともあれ、祖母は荼毘に付され、骨壷は祖父の隣に並んで納められました。

祖父は私が十代前半の頃に亡くなっています。ときどき思い出すのですが、高校生の頃に現代文の授業で短歌を詠むという課題があり、その時に詠んだこんな歌が担任からいいねと褒められたのでした。

要領の悪い祖母を叱る父 祖父の墓前の風の強い日

それから何年も月日を経て、今回要領が悪いと叱られたのは葬儀会社の人間で、叱ったのは石屋であり、墓には祖父母が共にいて風はまったくありませんでしたが、それでも同じことの繰り返しだな、とぼんやり感じました。

お墓にはまだいくつか骨壷が納まるスペースがあります。そこで急にハッとさせられました。今は父の代が墓守をしていますが、それが私たちの代に替わり、それから子の代に受け継がれ、少しずつ残りスペースが少なくなっていくのが明確に想定できたからです。普段意識しない先祖から子孫への縦のつながりが、鉄鎖のようにずっしりと心に圧し掛かりました。わるい意味ではなく。たとえどんな生き方をしても、そこから外れることも、それを覆すこともできない、自分には手の出しようがない強い流れがあるんだと、ただただ認識させられました。

私は弱い。でも流れを見ることはできる。流れの中に自分を見つけることもできる。
それをとりあえず覚えておこう、と思いました。

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