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会社が移転する先の街を見てきた。

スタバが5軒、シネコンが3軒ある街から、どちらも皆無な街に移る。

通勤時間は倍に増える。

ドトールに入ってコーヒーを飲んだけど、なぜか読書に集中できないし、目の前に大声で独り言をつぶやく老人がいたからすぐに出てきてしまった。

自分が楽しいと思えることってなんだろう、ということがわからなくなっている。

ブログやツイッターを書かなくなったのは、ネットが息苦しくなったから、読まれている実感がなくなったから、小説に時間を割いていたから、私生活が忙しかったから、などなど理由をつけようと思えばつけられる。それらはたぶん、いろいろなことが複合的に絡み合って楽しくなくなったから、でまとめられる。

過去の記事やツイートを読み返すと、まったく自分が書いたのだと信じることができない。違和感しかない。ほんとにおれが書いたんかこれ?

書き続けているあいだはその内側に取り込まれているから違和感がない。自分のなかにテキストがあり、テキストのなかに自分がある。両者を合わせてひとつの人格をつくっていたようなものだ。

それが一度断絶すると、はっきり別物になってしまった。過去のテキストに見出せるのは過去の自分。連続した自分という存在はない。

しかし現時点での唯一の楽しみは、もうすぐリリースされるスマホ版ロマサガ2だ。中学生時代の思い出だ。やはり連続していなくても現在の自分をかたちづくっているのは過去の自分のようだ。