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ずっと過大評価と折り合いをつけられずにやってきたと思う。

小中の学級委員だったり、中高の部活動のキャプテンだったり、大学と就職の推薦だったり。

自分からリーダーに立候補したことはない。むしろ可能な限り避けたかった。それでも「○○くんがいいと思いまーす」的なやつで祭り上げられたり、教師から指名されたりで仕方なくやっていた。

なぜ自分なのか、という本当の理由は知らない。なんとなく、マジメそうだとか、成績がいいとか、教師が扱いやすい「いい子」だったからなんじゃないかとは思うけど。少なくともリーダーシップを買われたのでないことは確かだ。リーダーとしてまともに機能していなかった。キャプテンを務めた某運動部は、新入部員が集まらず存続の危機に陥った。中学・高校ともに。

大学の推薦入試を受けた時、これが一番のピンチだった。のちほど研究室の恩師に聞いたところによると、面接での印象は最悪だったらしい。しかし合格だった。今の会社も推薦で入った。大学か就職で挫折していたら、もっと自分の評価と内実を近づけられたのかもしれないと考えてしまう。

そして今、三十代も半ばを過ぎたタイミングで、ついにボロが出始めている。

リーダーシップがないのに、リーダー的な役割を期待されてしまう。しかし期待に応えられず、もの足りない、なにか違う、と怪しまれだしている。

いったいどこをどう見てこのポジションに据えたのか。自分には相応しくないと思ったのだから断ればよかったのか。しかしキャリア的にも年次的にも避けられないところに来ているのも確かだ。その時は仕事の状況からしても意向に沿うことがベストだと思ったし、その状況が当初とだいぶ変わって想定とは違う環境になっていることが問題といえば問題なのだけれど、やはり根幹は過大評価にあるのだと思っている。どうしてもこう言いたくなる。なんでオレなんだと。

自分のリーダーシップのなさによって、チーム内でうまく立ち回れなくなりつつある。苦しい。胃が痛い。

もう来週末から期が改まる。時間は毎日同じ速度で流れている。先が見えない。見たくない。