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指をチュパチュパしゃぶるからチュパちゃん(ときどきチュパリーナ)と安易に呼ばれる我が子が、離乳食デビューした。

今まで母乳しか受け付けず、哺乳瓶をあてがうとゆるやかに表情が「これ嫌…」になって静かに拒絶していた人が、薄くのばした粥、しかもスプーンという未知の器具で食わされることを受け入れるのか??という不安があり、夫婦そろって早朝、緊張の面持ちで何も知らない我が子の口元にスプーンを差し出した。

我が子の目はどこを見ているかわからないが、なんと差し出されたスプーンを自分の食事だと認識し、おっぱいを欲しがるのと同じ動きで口を大きく開けたのだった。

夫婦歓喜。

粥でろーん。

注ぎ込まれた粥はおいしくないのか、味わうだけ味わってよだれかけに吐き出された。でも不快ではなさそうだ。もう一回やるとまた欲しそうに口を開け、粥を味わい、吐き出した。

こんな他人が見たらなんでもない光景(自分で読んでも劇的な感じはしない)は、それでもうちの家族にとっては一大イベントで、多くの家庭で同じようななんでもない一大イベントが毎時毎分起きているだろう。

こういう一喜一憂は幸せとしてはささやかだけど、幸せを感じる閾値は低いほうがいい。そのほうが世の中が楽しくなる。と思う。

もちろん心配はある。これから先、食物アレルギーが出ないかとか、好き嫌いが顕著で偏食しないかとか。

でも、きちんと日々の幸せを拾えていれば、なにか問題が出たときも必要以上に不幸がらずに済むんじゃないか。必要以上に欲もかかなくなるんじゃないか。足るを知るだ。足るを知ろう。